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80歳の胎内被爆者と中学生の語り部が気仙沼で出会う、体験なき継承の悩み

80歳の胎内被爆者と中学生の語り部が気仙沼で出会う、体験なき継承の悩み

長崎で母親の胎内にいた時に被爆した80歳の語り部と、震災後に生まれた気仙沼市の中学生の語り部が、宮城県気仙沼市の伝承館で出会いました。2人はどちらも自分が直接体験していない惨事を語り継いでおり、その難しさと向き合い方を共同通信が伝えています。

内容

テレビのニュースがきっかけで気仙沼へ

京都市に住む三山正弘さん(80)は、東日本大震災から15年を伝えるテレビのニュースで、宮城県気仙沼市で語り部をしている中学生の姿を見ました。三山さんはこの中学生が「きっと同じ悩みを抱いている」と感じ、6月に気仙沼市の「東日本大震災遺構・伝承館」を訪れました。震災後に東北を訪れたのは、この時が初めてでした。伝承館では、2人が互いの語りを披露し合いました。

2人が抱える「同じ悩み」

2人に共通するのは、自分が直接体験していない惨事を語っているという点です。三山さんは1946年生まれで、母親が妊娠中に長崎市で被爆した「胎内被爆者」です。被爆者ではあるものの原爆を見てはおらず、自身の立場を「中ぶらりん」と表現しています。72歳で語り部を始めた当初は、体験と記憶を持つ先輩被爆者の迫力ある語りは自分にはできないと痛感したといいます。

中学2年の小松大和さん(14)は、2011年3月11日の震災の後に生まれました。漁師だった祖父から津波や震災の話を聞いて育ち、小学6年から語り部を続けています。一人で語るようになってからは、体験した語り部との間に「壁がある」と悩みました。

体験がなくても「自分事」として語る

小松さんの支えになったのは、広島の高校生が被爆者の話を基に描いた絵をまとめた本『平和のバトン』でした。記憶をつなぐのは体験の有無ではなく気持ちを持った人だと受け止め、自分にもできると考えるようになったといいます。

三山さんは、聞き手が自分の身に置き換えて考えやすい例えを使うよう心がけています。たとえば原爆が爆発した真下の熱が瞬間的に3000〜4000度になったことを、カップラーメンのお湯(100度)や製鉄所の溶鉱炉(1500度)と比べて伝えています。小松さんは、抑揚やトーンを意識し、聞き手が「もっと学びたい」と思えるような語りを目指しています。同じ伝承館の語り部で3歳の時に震災を経験した大学生の吉田美咲さん(19)は、借りた言葉ではなく自分で考えた言葉で話すことを大切にしていると答えています。

それぞれの活動

小松さんは、震災遺構として残る気仙沼向洋高校の旧校舎を案内しています。天井の板がなくなった跡から津波の高さを示したり、海水の塩分で酸化した鉄製の棚を見せたりしながら説明します。来館者に津波の到達点を探してもらうなど、参加してもらう工夫もしています。

三山さんは、被爆者健康手帳を聞き手に見せながら語り始めます。両親が60代で白血病で亡くなり、2012年には妹も白血病になったことに触れ、そのうえで原爆の威力や放射能の影響を説明しています。語り部を始めたのは、妹が臍帯血移植で完治したものの匿名の提供者に感謝を伝えられず、代わりに誰かの役に立ちたいと考えたことがきっかけでした。

注目ポイント

原爆から81年、東日本大震災から15年という節目の年に、66歳離れた2人が「体験していない惨事をどう伝えるか」という同じ課題で結びついた点に関心が集まっています。継承する理由について、三山さんは核兵器をなくすため、小松さんは必ず起きる自然災害から命を守るためと答えており、惨事の種類は違っても未来に向けて語る姿勢が重なっています。体験者が少なくなっていく中で、記憶を次の世代がどう受け継ぐかが今後も問われることになりそうです。

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2026年10月11日 16時18位

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